interview

2011


宮里盛史さん

MIYAZATO Morifumi

2002年卒業 現在31歳 西原町育ち 西小、西原東中、開邦高校芸術科 出身大学卒業後、琉大附属中学校の非常勤講師として勤務非常勤をしながら教員採用試験を受けるが4回失敗し5回目で合格琉大附属中学校から糸満市の兼城中学校で臨時教員として採用を待つ兼城中学校時代に今の妻にプロポーズし籍を入れる沖縄本島で結婚式場を予約したにもかかわらず八重山教育事務所から採用の電話が来る なんとか結婚式は無事に終えた2008年に石垣中学校採用が決まり現在4年目になる(しゃべり方がすっかり石垣なまりになっている)早く沖縄本島に帰りたい・・・



Q1:現在のお仕事の様子(どこで、どんなことをされているか)をお聞かせください 

大学卒業後、琉大附属中学校の非常勤講師として4年間勤務していました。教員採用試験に合格して、糸満市の兼城中学校で1年間、臨時教員をしながら採用を待ちました。現在は、石垣島の石垣中学校という全校生徒630名程度の学校に美術教諭として勤務しています。石垣中学校は現在4年目で1、2年目は学級担任をし、3年目からは生徒会活動顧問という役職を引き受けています。生徒会活動とは生徒会総会の運営や、文化祭や体育祭などの学校行事への協力など生徒の自治的活動を育成します。美術教科は1学年から3学年までを見ています。美術という教科はほとんどの学校が、美術教師が1人で見なければならないので全校生徒と関わることができ、生徒たちの成長を見ることができます。美術科という教科は特殊で、まわりに授業について相談できる人が少なく、はじめは大変でしたが、経験を積んでいくうちに、生徒たちと共に作品を作り上げていく喜びを味わえる教科だと気づき、今はとても誇りに思っています。

Q2:なぜ琉大の美術教育専修に入ろうと思ったのか、また、受験にあたってどんな勉強をされたか、お聞かせください。

まず琉大の美術教育専修にしようと決めた時期は中学校3年の頃でした。こう聞くと目標を持った優等生のように聞こえますが、単純に中学校の教師になりたかった。中学校の教師と言うよりはソフトテニス部の顧問になりたかった。なれそうな教科が、中学校で少しだけ興味のあった美術だった、という不純な動機でした。不純な動機ではありましたが、高校受験の時に美術専門科目のある開邦高校に進学し、琉大の美術教育専修にギリギリで受かり、教員採用試験に5回目の挑戦で合格し、今、石垣中学校で美術教師をしながら美術部の顧問をしています。琉大の美術教育専修の実技試験勉強は、1時間で仕上げる鉛筆静物画の練習と、商品パッケージのデザインなどの絵の具での着彩表現や粘土やペーパークラフトでの立体表現の練習をしました。1時間の静物画は教員採用試験でも出るのでやってて損はないと思います。

Q3:琉大での学生生活はいかがでしたか?研究活動や友人関係、教員との関係等、印象に残っていることがあれば教えて下さい。

大学を卒業して約10年が経ちますが、「もう一度大学生がしたい!」のひと言。小、中、高と勉強はやらされてきた感じがありましたが、勉強の楽しさを覚えたのが大学でした。大学は高校までの授業とは違い、すべての授業を自分で選び受講するので、必ず興味のあるものが見つかると思いますよ。美術教育専修に限らず教育学部は少人数なので先輩後輩関係なく交流がありました。特に私のように男子の場合、美術教育専修にはとても数が少ないので先輩後輩の男子で遊ぶことが多かったです。教授との関係は、今思えば、二十歳前後の若造が生意気にも教授の前で自分の価値観で意見していたなと恥ずかしく思います。だけど、教授方はその意見に対し真剣に応えてくれたことに大変感謝します。教授方や先輩たちと研究テーマや研究を進める難しさなどを話をする中で、次は自分の番なんだと意識していきました。

Q4:卒業研究では、T.スプリ先生の指導のもと「純粋CGの追求」をテーマに、現実とCG、アナログとデジタルを対比させる『ゼンマイ式デジタル時計』というとてもユニークな作品を制作されたとお聞きします。プログラミングから始めて1年間、かなりハードな挑戦だったと思いますが、どのような経験だったのでしょうか。またその経験は、卒業後の進路にどのような影響をもたらしたのでしょうか。

研究テーマの「純粋CGの追求」はコンピュータグラフィックに興味があり、またパソコンのどういう仕組みで動いているのか不思議に思っていたので卒業研究テーマとしました。卒業研究は中間報告会が3回あり、最終報告会となります。私の研究は第1回目は“SHADE”という3DCG作成ソフトを使って教育学部棟の中の一部の再現を試みました。その頃の考え方は、現実空間をどこまで仮想空間で表現できるかに挑戦してみたかったんだと思います。第2回目はハッチングで絵を描くように一つ一つの線を、ベクターグラフィックソフト(Adobe.Illustrator)を使って、ベジェ曲線で表現しました。自分の顔の写真を元に、一つ一つ放物線を重ねていき1ヶ月かけて自画像を完成させました。パソコンの利便性を全く無視した行為が好きでした。第3回目はこちらに書けないほど大失敗でした。最終的に辿り着いたのが『ゼンマイ式デジタル時計』でした。どういうものかというと、ゼンマイ時計の振り子が振れるたびに回路が繋がり、キーボードを叩くように設置されたモーターが回り、ディスプレイ上デジタル時計が時間を刻んでいくという作品でした。CGの研究を進めていくうちにディスプレイに映し出された映像よりも、映し出すまでの工程の方が魅力的だし、その計算を処理するICを表に出したいと思いこういう作品になりました。卒業後の進路に直接影響はありませんが、この研究で挫折も味わい、最後はいい形で終わることができたので自信に繋がりました。

卒業研究「純粋CGの追求」2008年


Q5:「学校教育の中の芸術教育」の課題や可能性について、ご自身の現場での経験やエピソードなども交えてお話し下さい。

「芸術教育」の「芸術」をどういう定義で考えたらいいのか分かりませんが、私の行っている授業はすべて芸術教育だと思っています。だから、教科書会社が立案した授業計画通りにやったことはありません。すべてオリジナルです。これは大学卒業後の琉大附属中学校での非常勤講師時代の教材研究が役に立っています。各題材(スケッチ、色相環、紙粘土、詩画、篆刻、鑑賞など)に必ず人を魅了する要素があると思います。生徒にそれを気づかせられるような“めあて”を提示できたら芸術教育が成り立っているのかなと考えています。そうは言っても、全員が全員、課題に取り組むとは限りません。全員が興味を示してくれるような教材を日々研究していきたいと思います。またもう一つの課題として時数の確保があります。ワークショップのような活動をやりたくても2時間以上の時数を確保が大規模校になればなるほど難しくなるということです。

Q6:沖縄で美術や美術教育を学ぶ後輩達へのメッセージをひとこと、お願いします。

教員になろうとしている皆さん、学校現場では美術の授業だけではありません。あいさつ指導や読書指導、給食指導、掃除指導、生徒指導、行事の取り組み、などなど毎日がめまぐるしく過ぎていきます。私も何度も潰れそうになりました。そんな時、誰かに相談できるかできないかで続けられるか変わってくると思います。話がそれているかもしれませんが大切なことですのでコミュニケーション能力を鍛えてください。芸術家を目指す皆さん、必ずあなたと同じ価値観を持った人が世界のどこかにいます。自信を持ち続けてください。

(おわり)