2011年度 卒業・修了研究


大学院 教育学研究科

前泊 美知

変容のためのピリオド

新しい世界を見つけるたびに、古い世界に終わりを告げる。
古いモノは無に消えていく。
でもそれは、
次の世界へ向かうための「入り口」で、「エネルギーのある無」なのかもしれない。
なんてことを、考えた。


「ピリオド・穴」
顔料、ラッカー、アルミ板、LED 電球 20×20×2(cm)


比嘉 沙織

不安と安心 〜光と影〜

私と貴方の認識には少し差がある気がするので
線を引かせて下さい。
そのボヤッとした曖昧さをまず明確にしましょう。
その境界が見えれば
貴方を知ることができると同時に
私の存在が確実になります。
無意識を無自覚で過ごしたら闇に包まれました。
たまに太陽が照らしてくれますが
影の持ち主は見えません。
確か、きっと
私の影だと思うので
もっと時間をかけて
貴方は意識を集中して下さい。

「確か、きっともっと」
マットコート紙、プラスチック角棒 プリント 100×12×8(cm)


教育学部

美術教育専修

伊波 かれん

「刃物」の正シい/楽シい使イ方

古い裁ち鋏を買った。鈍色が奇麗な光を零している。
在り来りな女の話。鋏に取り憑かれた末路。自分を食べた者の嗤い。噫、阿呆らしい。
どうだっていいのだ、そんな事。使い方を忘れなければ良いだけの話だ。そんな事より、買ったばかりの
裁ち鋏の事が気になって仕方が無い。裁縫などした事も無い癖に。古めかしい鈍色を眺めているうちに、
手に取っていた。これで一体何をしようというのだ。ジャキン。

「 刃物 」
ハイヒール ナイフ フォーク ハサミ


下地 まなみ

「表情」

皮膚のきめは人間の持つ最も根源的な表情なのではないか
私の見ている世界は全てがきめに包まれている
私の身体も。他人の身体も
きめの存在は
意識しなければ気づかない
けれど
身体全体を包んでいる
ふとした瞬間に浮かび上がるきめの一部から
全体へと広がっていく

自らのきめの存在に気づき見つめることは、確かにそこにあるけど見えない、見ていない、そんな不確かな存在になりつつある、自分自身でも見過ごしがちな、より純粋な自分を再発見することになるのではないか。そんな自分を見つけることができたなら、今までに見たことのない自分や世界にも出会うことができるかもしれない。

「きめ① < 左手>」(部分)
画箋紙、薄墨 70×136.4


河野 英恵

あこがれ

私には「できない」と思うことが沢山ある。他の人が普通にこなしていくこと一つ一つに、いちいちつまずいてしまうのだ。そういう性分だから仕方ないと諦めたポーズをとってみたりもするが、心の奥には、このままじゃ嫌だと感じている自分がいる。「本当はこうありたい」という憧れが、時おり胸をかすめる。
 私にとっての「あこがれ」とは、早寝早起きをするとか、授業に遅れないとか、課題に真面目に取り組むとか、そんな些細なことの積み重ねが着実にできることである。
 変わりたい、でも変われない…。同じようなことを繰り返し考えながら過ごしてきたが、卒業研究のテーマとして取り上げることで、「あこがれ」に近づけるような本当の変化が訪れることを願い、1年間制作に取り組んできた。

「解説パフォーマンスビデオ」
映像作品 約10 分


宮平 智江

「閉じこめる」

日々を過ごしていく中で、普段は当たり前にしか感じていない存在を、ふと大切なものだと感じる瞬間がある。そういった、私が日頃感じる大切なものを一つ一つ閉じこめ、それだけの空間をつくる。またそれらを美しく、綺麗だと思えるように飾りたい。私にとって瓶に閉じこめるということは、感覚や気持ちのように物質的には閉じこめられないものを保存することを意味する。同時に、その感覚や気持ちを忘れることのないように整理整頓を行う。ガラス瓶を選んだ理由は、透明であり中の空間を感じられるという点と、美しく綺麗に飾ることができるという点である。
気に留めなければ流されていく、当たり前だけど本当は大切なものを閉じこめて保存した。

「私の中にあるもの〜私・母・祖母〜」
ガラス瓶、OHP シート、トレーシングペーパー 14×14×16.5(cm) 


坂本 みずほ

「エボシ」の中の世界

あるアニメに登場する烏帽子の中には、異世界が存在する。その世界は烏帽子の持ち主の心が具現化した世界であったり、烏帽子の中に入る( この烏帽子には何でも入れることができる) 人の心の「世界」であったりする。ここでは、烏帽子はそういった「世界」の入れ物なのである。
私は日常の生活の中で、現実とは異なった「世界」の存在を想像することが多々ある。私が「世界」を意識する際には、身の回りのなんでもないものから想像をする。普段はなんでもないただの服の皺や空き缶だからこそ、「世界」を意識する面白みがあるのである。なにも無いように思えるからこそ「ある」と思った時の快感がある。

 

そんな楽しみをこの作品を通して知ってもらいたい。

美術館内外に設置した市販の壺
30 個によるインスタレーション サイズ可変


西郷 賢一

その「覆い」は私の皮膚か外のものか

私と外部とを隔てているものは何なのだろう。この皮膚か、それとも別の何かなのだろうか。
物理的に別個の存在同士であっても、「コト」としての関係性により、互いを共有した世界を想像し、それを作品として表現していきたい。

Phage
鉄パイプ、針金、石膏 50×50×160 cm 


渡津 光司

過去との対話

幼い頃に砂浜で山やトンネルを苦労して作ったが、帰る際には名残惜しいけどもその「作品」を自ら崩した。もしくは、残そうと思って何もせずに帰るが、それは波にのまれて崩れてしまった。しかし、再び砂浜に行くとまた同じことを繰り返した。私はやがて砂浜で山やトンネルは作らなくなり、「自ら作品を崩そうとする」という行為はしなくなった。
今回はこの「自ら作品を崩そうとする」というテーマで授業を展開し、自分の直したいところや気になるところを粘土で作り、それを乾かした後、敢えて水槽の中に入れた。そして、再び粘土に戻した。
幼い頃の写真によく写っていた「砂浜で山やトンネルを作る」という行為から生まれた授業の記録。

過去との対話レポート
(「思い出の写真」より抜粋)

授業の記録
(「授業の写真」より抜粋)



島嶼文化教育コース

粟國 由子

沖縄を飾る〜表と裏の顔〜

すべてのものには表と裏がある。
それぞれで存在しながらも、それらは表裏一体ともいえる。
沖縄にもそれが感じられないだろうか。
あなたの目で見てぜひとも実感してほしい。

「沖縄を飾る〜表と裏の顔〜」
木綿/縦浮き花織 各100×65(cm) 


喜納 亜梨花

Room

『部屋が欲しい。』
昔からMY ROOM にあこがれていました。
私の中でROOM とは自分だけの領域であり、居場所です。
そんな場所を私は求めていたので、作ってみようと思いました。
やわらかくて包まれるような空間が作りたかったので、おもに羊の毛を使いました。
それでは、あなたをわたしのROOM に招待します。


「Room」
羊毛、セーター、毛糸 約150×150×160(cm)