interview

2015


池村浩明さん

現在の職業:漫湖水鳥・湿地センター職員

2005年 琉球大学教育学部美術教育専修 卒業

2004年 沖縄こどもの国ワンダーミュージアムでインタープリターとして勤務

2007年 島木工工房にて木工の技術を学ぶ

2009年 漫湖水鳥・湿地センターに就職し、現在に至る

大城あゆみさん

現在の職業:美術教師

2005年 琉球大学教育学部美術教育専修 卒業

2007年 特別支援学校教師(臨時)

2015年 美咲特別支援学校教師(本務)

平良亜弥さん

現在の職業:美術家、専門学校講師

2005年 琉球大学教育学部美術教育専修 卒業

2012年「LOOCHOO ’TIME’」

(Crypt Gallery/イギリス)

2013年「瀬戸内国際芸術祭2013」

(本島屋釜/香川)

2015年「Mabuni Peace プロジェクト」

(沖縄平和記念公園/沖縄)



▲ 漫湖水鳥・湿地センターにて

Q1:なぜ琉大の美術教育専修に入ろうと思ったのか。

また、受験にあたってどんな勉強をされたか、お聞かせください。

 

池村:勉強するのが嫌いで大学受験をするつもりはなかったのですが、同期の亜弥さんが琉大にも美術科があるということを教えてくれて、「好きな絵を描いて琉 大に行けるなんて楽しそう!」という考えで受験を志しました。案の定、現役合格はできませんでしたが、「琉大で好きなことをやる」という明確な目標ができ たおかげで、一年間受験勉強を頑張ることができました。私も普通の受験生と同じように塾に通い受験勉強をしました。実技面では、高校の美術の先生に、デッ サンや平面構成、立体制作などの基本的な表現技法について教わりました。今だから言えることは、私の受験勉強は「苦手なことを克服する」というよりは「苦 手なことをカバーできるくらい得意なことを伸ばす」というところに力を注いでいたように思います。


大城:正直、高校3年生の途中に「行ってみようかな」と思い受検しました。急いで当時の美術の先生にデッサンを教えてもらいました。


平良:(あゆみさんに向かって)なんで美術科に来んだっけ?他のところも受けてた?


大城:オープンキャンパスのときに法文学部とかに行って、皆が受けるから受けるーみたいな雰囲気で、でも理科が好きだから理科教育も行こっかなーみたいな。。。なんで来んだろう(笑)途中で美術に行こうかなみたいな感じで。

 

上村:受験対策は?


大城:高3の時に美術がなかったんですよ。そこで、進路の先生に「実技というのがあるんだよ」って言われて、美術の先生のところに相談しに行ったら「いいですよー」って言われて、それからデッサンとかを習ったんです。


平良: 県内の大学ということが条件だったのと、なぜか県芸に進学するということは頭になく、琉球大学美術教育専修のみ受験対象としていました。1年浪人したの で、(たまたま同じく浪人した同級生の池村君と一緒に) 浦添高校の美術の後任で入った仲里(安広) 先生に、現役生に支障が出ない時間帯を利用して実技対策のアドバイスをしてもらいました。実技対策としては、琉大は毎年何が出題するかわからないので、対 策の取りようがないと言われていましたが、たまたまスチレンボードを素材にした制作をしていて、2年目の受験のときに同じ素材がでたので、とてもラッキーだったことを覚えています。それと、受験も2度目だったので、だいぶリラックスして受験に参加することができました。美術教育の先生たちのキャラクター観察が楽しかったです。

 

Q2:琉大での学生生活はいかがでしたか?

研究活動や友人関係、教員との関係等、印象に残っていることがあれば教えて下さい。

 

池村:とても充実した濃い4年間でした。先生方は皆さんとてもユニークでフレンドリーな方たちばかりでした。先輩方や友人も皆同様で、卒業して10年経った 現在でもお付き合いが続いていることを非常に嬉しく思っております。特に印象深い思い出は、2~3年次にかけて2年間関わることが出来た 「wanakio」というアートイベントです。「wanakio」を通して、単に作品を制作するということだけでなく、色々なアーティストや作品との出会 い、イベントの企画から運営、人間関係や社会とのつながりまで、たくさんのことを経験することができました。この経験のおかげで、私のモノの見方や考え方 はかなり「美術的に」鍛えられたと思っております。


大城:アットホームで楽しかったです。教授もフレンドリーでしたし、年上・年下の学生とも深く関わることができたのは良かったです。美術に縦社会があまりなくて居心地最高でした。縦社会は社会にでて知った気がします。


平良:とても充実していました。学年問わず、いろいろと言い合える雰囲気がとても良かったです。いろんな考えの人がいることを目の当たりにした時間かなと 思います。先生方もユニークな方ばかりでしたし、卒業後も公私共々お世話になっています。また、制作するということに時間を費やすことのできる貴重な時期 で、その間に関わった同じ学年の友人たちは、とても大切な存在だなと改めて思います。


関:琉大の美術教育に興味がある人に向けて、大学生活についてもう一度質問したいです。美術の活動については事前質問で沢山教えていただいたのですが、改めてどのような活動をしていましたか。


平良:今と圧倒的に違うのが集中講義が、前期後期で1回ずつはあったんですよ。私は集中講義マニアで、単位関係なく全部取ってたんですよ。だから、それを受講してたら、週末は集中講義があったり…ゲスト講師がやってるイベントとかに参加して、色んな人を知れたから。


関:それって美術の集中講義ですか?


池村:そう。県外や海外とか…


平良:ジェームズ・タレルとか来た。サンタクロースみたいだった(笑)


関:あゆみさんは何かありましたか。


大城:銅板はやったね。楽しかったなぁ。


平良:那覇の農連市場で展示をして…


池村:石膏に印刷した。石膏にやいて…


平良:先輩達がやっている作業の手伝いで行ったりして…


池村:学年関係なく作品を作ったといえば、あゆみの「鳥皮のジャケット」。あゆみの発言はぶっ飛んでてかなわないなって思ってた。鳥肉の皮を縫ってジャケットを作るとか。作品も面白いんだけど、ストーリーも面白い。話に出てくる登場人物とかが個性的。


平良:ひたすら鶏を焼いて皮をはいで縫って、ベタベタになって…それを着てくれる先輩もいるし(笑)


池村:先輩の作品を全員で手伝ったこともあった。


平良:学年を問わず、この作品一人では明らかに仕上がらないよねってやつは、


池村:なんか皆手伝ってくれたよね。自分の作品を作らなきゃいけないけど(笑)

 

Q3:現在のお仕事や活動について少し詳しくお聞きします。

 

池村:漫湖水鳥・湿地センターという環境教育施設で、CEPA( = Communication : 広報、Education : 教育、 Public Awareness : 普及啓発)に携わる仕事をしています。仕事内容は、一般的な事務作業に加え、インタープリター(自然ガイド)、W.S や企画展の企画・運営、イベントのチラシや配布物のデザイン、展示物の制作、ボランティアコーディネート、鳥類調査など多岐に渡ります。

私は、現在の職場で務めるようになって、環境教育と美術教育はすごく近いと思っています。今の職場で務めるようになったきっかけは、学校の外で子どもたちと 関わる仕事を望んでいたからです。私は、求人募集を見てすぐ「ここで働きたい」と思いました。その当時、実は別の会社の採用結果待ちだったのですが、それを待っている間に、ここでの採用が決まってしまいました。

環境教育が美術教育と重なるという話ですが、キーワードは「想像力」と「表現力」です。各教科の垣根を越えた「教育」の原点が美術教育にはあると思っていま す。環境教育においても、様々な場面でこの二つの基礎能力はとても重要になってきます。「言葉では読み取れない相手の伝えたい思いを汲み取る」「自分の伝 えたい思いを的確に分かりやすく説明する」、この二つのスキルを育むためにも美術教育は必要不可欠なのです。


大城:特別支援学校教員をしています。じっと耳を押さえている生徒に、「販売ポスター用にお皿の絵を描いて」というとスーパーマリオのヨッシーの絵を描き だして、「あれれ」って思って。でも、よく見たらヨッシーの頭の上ににちょこんって小さな皿を乗せていたりして。「あ、皿描いてたんだねー」というと耳を 押さえてて。表現はやりとり(会話?)みたいなものでしょうか?


平良:アーティストがどんな職業なのかは、私もよくわかっていませんが、自分がアーティストでありたいと思って、自分自身で活動を継続しなければアーティ ストではないのかなと思います。経済的に自立しているかと言えば、私は別の仕事もしながら制作活動をしていますので、まだまだかもしれません。作品を購入 してもらうということは、いまだに課題とするところです。ただ、生計がたてれなくても、制作活動はたぶん死ぬまで続けるつもりで、現在までやっています。 そう思わさせてくれたのは、やはり大学での先生方や先輩方の美術に対する姿勢や、その時期にすばらしいアーティストと出会えたことは、おそらく卒業後も制 作を続けていきたいと自然に思えた理由だと思います。興味あることはいくつもあるのですが、ここ最近のことで言えば、ここ数年で著名な文化人・美術家がお 亡くなりになっていくことに悲しさを感じていると同時に、上の世代の方との交流を通して、話をしていくことはとても重要だなと実感しています。それが摩文仁での展示参加を後押ししてくれましたし、沖縄から平和を発信するということの意味をもう少ししっかり考えたいなと思わせるきっかけになっていると感じて います。あとは、今年は専門学校で講師を勤めていることもあり、幼児教育の重要性をとても感じています。沖縄・日本の状況が本当に厳しくなっていることに 危機感を覚えます。良い方向に向かうための方法を考えたいと同時に、小さい人たちの想像力を育てることは、未来への希望だと思います。幼児教育に面白い形 で関わることはできないかなと、最近よく考えます。卒業後、アートイベントや展示企画という側で活動をしている時に、感じていたことなのですが、制作する側と教育の現場にたつ側との扉をもっとオープンにし、行き交えるようにするにはどんな風に交流すればいいのかな、ということを考えたいです。そういった試 みを意欲的に行っている卒業生もいるので、そうした人たちを心から応援しています。

 

Q4:卒業研究は、ご自身にとって、どのような経験だったのでしょうか。

またその経験は、卒業後の進路にどのような影響をもたらしたのでしょうか。

 

池村浩明さん/卒研題目「間具-MAGU」
池村:「答え」が用意されていない問いに対して、自分の考えを具現化する初めての経験でした。卒研のテーマについてですが、大学に入学して、絵を描く楽し さよりも、立体をつくる面白さに惹かれていった私は、その当時、家具〈特に椅子〉に興味を持つようになっていました。ですから、「卒研では家具をつくりた いな」と漠然と思い描いていました。そこで「どういう家具をつくるのか?」という自らの問いに答えるようにテーマを設定したのですが、「人と人とのコミュ ニケーション」をテーマにした理由は、当時、私自身が「携帯電話とコミュニケーション」に対して違和感にも似た疑問を感じていたからです。

私 が学生生活を送っていた4年間は、ちょうど携帯電話が急速に普及して、新たなコミュニケーションツールとして一般に浸透していった時期と重なります。今で こそ当たり前になっている携帯電話の出現は、これまで普通だった、「顔と顔を合わせた」コミュニケーションに割って入るようになりました。また、手紙に とって代わるであろうと謳われたメールも、機械的な文字と記号だけで構成された画面からは相手の感情や想いが伝わりにくく、私にとっては抵抗があったにも 関わらず、いつのまにか昼夜を問わずにやり取りを迫られるコミュニケーションになっていきました。その「いつでも、どこでも」のコミュニケーションの変化 スピードについていけなかった私は「ごめん、ちょっと待ってケイタイ入った」「ごめん、メール返すから少し待ってて」と会話を中断される度に「目の前のコ ミュニケーションよりも、見えない相手とのコミュニケーションが優先される」ことに対して「何か違う」と思うようになりました。その時の思いがテーマの きっかとなっています。その携帯電話優先のコミュニケーションに対抗して、生身のコミュニケーションに意識を向けさせるために考えたコンセプトが「間具」 でした。私は、人と人との間を埋める道具としての「間具」を制作する過程で、私自身が理想とするコミュニケーションの形を提示し、社会に対して自分なりの 問題提起をしようと考えていたのだと思います。実際の制作過程はあまり順調とは言えませんでした。制作した5つの間具それぞれには、ベースとなるストー リー(体験)があり、そのストーリーを軸に、途中、何度も迷子になりながらも、理想とするコミュニケーションの形(=シチュエーション)を発生させる機能 を「道具」に落とし込む作業がとても大変でした。最終的に5つの間具を通してコンセプトの全体像をぼんやりと提示できたことで、最後の最後で先生方に好評 を頂いたのはとても嬉しかったのを覚えております。
制作にあたっては、マルセル・デュシャンの「レディ・メイド」の作品群にとても影響を受けました。卒業後も、既にある物(=既製品や不用品など)を組み合 わせてものを作るという制作方法は、私のものづくりの基本となっています。今は個人的な作品を作る機会は減りましたが、この方法は、今の職場でもマング ローブの有効利用や漂着ゴミの再利用など、環境問題を解決するためのアプローチの一つとして役立っています。

 

▲ 池村さんの卒展作品


大城あゆみさん/卒業題目「おくる」
大城:対象の人がいることで作品を作ることができました。対象の人がいてくれることに感謝です。卒業研究はうまくまとまらず戸惑いの時間で、すると対象の 「兄」も私の作品に戸惑ったりして。なにかと「戸惑い」でしたが、何かを作り上げられたことは小さな自信となりました。いまだに、何か作るとき(作ろうと イメージするとき)私には対象の人がいます。

 

▲ 大城さんの卒展作品


平良亜弥さん/卒研題目「お近づきになりたい」
平良:「お近づきになりたい」というテーマで卒業制作は取り組みました。卒業後も制作を続けるということは、4年次の頃には何となく決めていたので、学生 のうちに取り組める、取り組んでおかないと、卒業後にひろがりのある表現に挑めないかなと思って、とても身近で重要な問題を焦点に当てようと考えました。 結果、両親(特に父親)のことをある時に、すっと許す(というか受け入れる)ことができた瞬間が訪れて、今ではとても良い関係を築けていると思います。た だ、家族というテーマは、いろいろな局面で対象が変わり、解決していきたいことはいくつもあり、時間が解決してくれることと、どうしても向き合う時期とい うのが訪れるので、今はまた別の向き合うべきこと、というのが出てきてはいます。
プライベートな問題について、美術を通して緩和、解放、受け止め、受け入れるということは可能だと、卒研を通して実感しています。何かを介さなくても、コ ミュニケーションが取れればその方がもちろん良いとは思うのですが、なかなかうまくできない、それが時間を重ねれば重ねるほど重くなっていくのであれば、 美術は人の気持ちを救うことのできる手段のひとつになると思っています。すぐにわだかまりが溶けていく即効性はなくても、地道に継続していく中で、信頼を 通して調和していくようなそんな要素が美術にはあるなと思っています。
卒業してからは、家族というテーマを直接出していませんが、年に2〜3回は発表することを心がけて制作活動を続けています。発表の場を設けることは、その 時々の私の状態を報告していくという部分もあります。卒業して数年は、家族や親戚に美術を通して報告するという意味は、継続させる動機としてかなり強かっ たです。今もその意味はありますが、もう少し制作して発表することは、もっと自然なものとして常にある、というところにきてはいます。テーマとしては、 「今ある風景のその先の風景」でしょうか。その先の風景をイメージするような媒体として作品が存在することを意識して制作しています。
それと、作品をみてくれた方の夢に作品が登場する、ことができたらいいなと思っています。人の記憶の中に残る風景はとても身近であったりインパクトがあっ たり、どちらにしても存在し続ける根強さがあるなと思います。それと同じように作品が記憶の中に存在し続けることができるのであれば、またそこからいろん な美術の可能性を信じることができるな、と考えています。

 


▲ 平良さんの卒展作品


 

池村:卒研の最後の方で、たつやさん( 片野坂達也さん※美術教育専修の先輩)に言われて、教育学部の美術教育ということを意識した。「教育学部の中の美術教育だぞ。作品を作る時はそれなりに教 育に絡めて、社会に対して自分の問題を出して、それが教育にどうリンクしているのかということを考えて。ただ作品作りたいだけなら県芸行って、絵画とか陶 芸なり好きなの専攻してやればいい。教育学部の美術ってことを忘れんなよ。」自分がやりたいことをただやる、作りたいものを作るだけじゃダメなんだ…方向 修正したのを覚えてるな。そういうことも先輩の言葉だったな…


平良:色んな意味で熱心な人達はいっぱいいて、それがぐいぐい伝わる。


池村:みんなで集まって飲んでるときに何話してたかって言うと、やっぱり美術のことだった。面倒なこと不便なことを一生懸命やって、結果何もなくてもなん か楽しんでいる感覚が、自分にとっての大学だと思う。あゆみの鶏の皮を一生懸命縫うっていうのもそうだし。自分にとっては何の役にも立たない。自分の作品 も作らなきゃいけないし…でも「一緒にやる」という経験が楽しいし、後になってみれば、それは誰も経験したことのないすごいものになっていた。そのときは 気づかないんだけど、馬鹿みたいに一生懸命にやってるかどうかで、自分の仕事に就いたときや、やりたいことをやるときに、けっこう反動になってかえってく るんだなあって。

 

Q5:沖縄で美術や美術教育を学ぶ後輩達へのメッセージをひとこと、お願いします。


池村:私が美術を通して学んだことは、「柔軟な思考」と「コミュニケーションの大切さ」です。美術を通して「自分の感性」が磨かれるのは当然ですが、作品 を作るだけが美術ではありません。美術の力には、目の前の課題を解決するための多くの可能性が秘められています。より良い社会を築いていくために、皆さん の「美術力」が色々な場面で活かされることを願っています。


大城:楽しんでいますか?楽しそうですね(*^_^*) 勝手な想像ですが。


平良:作品をみたり、イベントに参加してみたり、違うジャンルの人と交流するということに積極的であってほしいなと思います。卒業して、制作から離れてしまう時期があっても、みる、体験する、ということからは離れてほしくないなと思います。


<おわり>


 

  • インタビュー 
    • 2015年6月
  • 聞き手 
    • 上村 豊
    • 照屋美紗(美術教育専修3年)
    • 関 涼香(美術教育専修3年)
  • 記録・構成 
    • 上村 豊
    • 仲宗根みなみ(美術教育専修3年)
    • 亀島英莉(美術教育専修3年)

※この記事は、事前にメールで頂いた予備回答と、漫湖水鳥・湿地センターで行ったインタビューの記録を併せて再構成したものです。