矢野 雄一
停滞した時間
大きな流れの中にいる自分。
それは急いで歩こうとするもので、だんだん僕と歩調がずれてくる。その穢れのようなずれこそが、体に付き纏う漠然とした不安だったのか。
そしていよいよになったとき、穴の開く音がしていたけれど僕は耳を塞いで、聴こえないようにしてきただけなのか。ありのままの自分は惨めで、その姿を受け入れられずに必死に逃げていただけだったのかという想いが巡った。僕にとって、初めてその姿がはっきりと形になって見えた瞬間だった。
自分の周りにある風景に逆さまのロープを加えること。
ひっそりとした、だけど人気の途切れない場所で。惨めな自分と、なれなかった自分とを受け入れるために生まれた儀式。
それは僕にとって、日常の風景を「にやり」としたものに変えていく。
停滞した時間
ロープ(ライティングによるインスタレーション)
写真:H59×W42(㎝) 4枚
田本 健
歩く
歩くことを手法とする。
外に出る、歩く。
偶然や地形などの状況に身をゆだねて、成り行きで進路を決め、出会いを期待して歩き続ける。
すると見えてくるものがある。目の端に飛び込んでくるものがある。いつの間にか心を奪われ、言葉にならない感情にとらわれてしまう。
人は歩くとき漫然と歩いているのではない。何らかのまなざしがあるはずである。
私の場合、それは痕跡に向けられていた。不特定多数の人や物や出来事が、偶発的に作り上げていった痕跡。
痕跡を見つけては立ち止まり、じっくり見て観察し手で触れて感触を確かめ、またその場にたたずむ空気を肌で感じ、こみ上げてくる言葉や感覚に耳を澄ませ、カメラを構えてシャッターを押す。
これは私のまなざしの記録である。
浮上
写真
大橋 功
融合
例えば音楽には色々なジャンルを組み合わせてバランスを整えていくことで、新しい音楽が生まれたりする。それらの融合を試みた結果、人によって感じ方は違うが、違和感のある作品にもそうでないものにもなりえる。同様に絵画にも色々な技法や素材を融合させることで、自分なりの新しい表現を追求できるのではないかと考えた。その中で作品のテーマとして、あらゆる要素や過程を体験して融合された「自分自身」を描いていった。
キャンバス上の森の様な世界は、私を形成してきたものごとを表した世界であり、その世界に私の心の中の世界を映像として投影した。映像は、自分自身の弱さであったり、こうでありたいという自分を表現している。
Canvas (部分)
画布、絵の具(アクリル系カラーインク、油絵の具)、写真、色紙、映像/絵画作品
H200×W360(㎝)
立石 朋実
行
「行」とは能力の向上を目指したものの他に、僧侶の場合は精神鍛錬の一種で、人間的な欲望から開放され生きていること自体に満足感を得られる絶対的幸福を追求することを示す。主に写経・読経・回峰・掃除などが「行」としてあげられるが、どれも人が日常的に行っている動作が基本となっている。誰でも出来るが、毎日続けることが難しいものが「行」となっていると私は思う。
私は、「今後の人生の大半を同じことをする」ということが非常に恐ろしく、また出来るとは思えなかった。1年間、何かをやり続ければ少しは自信になり覚悟が決まるのではないかと思った。そこで、普段から私は切り絵が好きでよく紙を切っていたので、紙を切り続けることにした。何かを作ることではなく、切り続けることに意味があるので、出来るだけ意味合いの無い形・色にしようと思い、白い紙を1cmの正方形に切ることにした。
人は無意味だと思われるもの/行為であっても、大量に、もしくは繰り返し行うとそこに意味合いを見出す。続けることで見えるものもあるのではないかという思いで毎日切ってきた。
増えていく紙片を見て、1ヶ月も1年も1日の積み重ねでしかないのだなと感じた。今までは人生という漠然とした時間が恐かった。人生も1日の積み重ねだから、1日1日を大切に過ごしていけば、毎日同じことをすることも難しいことではないかもしれないと思えるようになった。
行
1㎝の正方形に切った紙、紙を切る時に聞いたCDのケース、
紙を切る時に使ったカッターナイフの刃、鏡をはめた板
ボードのサイズ:H5×W23×D23 (㎝)
長田 いづ実
動きと形
動くことで変化していく人の体の様子を見るのが好きだ。
正直、私には何も見ずに人体を上手く描く技術なんて無い。何も見ずに人間を描こうとするとき、その都度どのような感じになるのかを考え、悩み、何回も描いては消してを繰り返している。
そして私は、これから先どんなに人体を描く練習をしたとしても、人を描くときどのようになるのかを考え、上手く表現できずに悩むことを止めないのだと思う。考え、悩むことは、私の人の体に対してのつきることのない興味に繋がるからである。
私の描く人体は「こうなるのではないか」という考えの上に出来たモノである。その「こうなるのではないか」を何枚も続けて動画にしたとき、実際にはない動きをするモノが出来上がるだろう。
それは私が考える、モノの動きや形であったりするものを素直に表現していると考えている。
動きと形
映像作品 1分
中村 禎人
妄想・空想
妄想には色々な種類がある。性的な妄想や、ふとした出来事に対して行う妄想。
妄想は人に言えないような恥ずかしいものがほとんどだ。
自分の為の妄想を私はこっそり作品として形にしてみた。
私の作品を見る人は、人の秘密をのぞき見る様な妙な快感がうまれるのではないか。
「もし小人がいたら...」とは誰しも一度は考えたことがある妄想だ。
誰しも考える妄想だからこそ、誰もが共感できるし、人との違いがおもしろい。
普段の生活している部屋に、廊下に教室に、もしも小人が住み着いていたならそう考えると 世界の見え方も変わってくる。私は楽しくなる。
自分のあたりまえだと思っていたものが実は違う世界につながっている。
私の妄想をのぞき見て、ニヤニヤと楽しんでほしい。
妄想・空想
段ボール、その他H200×W200×D200(㎝)
映像作品:5分程度
成田 有紀
だれかのためのだれかだけのもの
幸せってなんだろう。
自分のこれまでの幸せを振り返って思いつくまま、ひらがな順に並べたら、百科事典ができるほどたくさんあった。
人間は不幸を感じるセンサーの方が敏感にできているらしい。ならばわたしは、毎日ささやかであるかもしれないが、かけがえのない幸福に出会っていることをいつも忘れないでいたいと思う。
そんな、ちいさな“あなたのためのあなただけのもの”の存在によってこそ、時にあなたは満たされ、生きているから。
そう思い、今日もまた新しい幸せに出会おう。
あなたの幸せは、何ですか。
しあわせ百科事典
紙、布
B5判 冊子 10冊
前泊 美知
潮時
「潮が満ちるとき誰かが産まれ、潮が引くとき誰かが死ぬ」
こんな俗説を聞いたことがある。どうやら潮の満ち引きは、人の一生と関係付けられることがあるようだ。潮時という言葉には「潮が満ち引きする時刻 事を起こすのに良い頃合。好機。時期。」という意味がある。
物事の始まりや終わり、人生の節目や変化。そこに潮の満ち引きを関連付けた作品を制作してみたい、というところからこの研究はスタートしている。
現在、「始まり・終わり」の瞬間は移ろっていく時間の中に存在しており、その変化はどこからともなくやってきて、逃げることはできないのだろう、という考えに至った。光や音の変化によって、それをどうにか表現したいと思う。
青い穴
ボードに映像を投影 7分
直径130(㎝)
宗岡 麻里恵
つ な が り
“大切な人”へ
あなたと過ごしたあの日々は、つい最近の出来事のようだけど。あれからもうどのくらい経ったのでしょう。私は今ではあなたより年上です。あなただけがとまっているなんて、不思議で仕方がありません。あなたがいなくなってから気づいたことがありすぎて、雨のように涙が溢れました
ただあなたのいる世界で生きたかっただけなのに。もっと話したいことがいっぱいあったのに。約束も果たしたかったのに。
そんなことばかり考えて生きてきましたが、近頃あなたを想えば想うほど、あなたが遠くなっているように感じます。あなたの声が、聞こえなくなってきました。忘れないと誓ったはずなのに、忘れそうになることが怖くて仕方がないのです。あなたと私の間にある糸が切れそうで怖いのです。
だけど。それでも私は、生きていくでしょう。
あなたと見たあの青空も、共に感じた風も、何もかもすべてを忘れたとしても。
あなたのことは忘れないから。
「つながり」は、ここにあるから。
たしかなもの
Ⅱ糸、接着剤、オーガンジー電球、天蚕糸
H380×W200×D250 (㎝)
西山 ますみ
「紅型のドレスを作りたい。」
6年前、沖縄に来て極彩色の紅型の着物を見て、衝撃を受けた。
琉球大学に入学した当初から、紅型のドレスを卒業制作で発表したいと思い続けてきた。
このドレスは、世界に一つしか存在しない。
私らしさ、個性そのものである。
この作品は、周りの人の協力がなければ成し得ることはなかった。
ドレス制作にあたり、関わってくださったすべての皆様に感謝し、この場を借りて厚く御礼申し上げます。
『 SHOW MYSELF 』 ―意匠を凝らせた自己表現―
絹、エスカラー(紅型染め)
H160×W100×D120(㎝)
犬飼 顕
最高なジョッキ
沖縄で何を学んだ、と聞かれれば、私は間違いなく「ビールの美味しさを学んだ。」と答えるだろう。
大学生活でのイベントには、必ずというほどビールはそこにあった。
その中でも特に美味しさを感じることができたのは、ビーチパーティの浜辺で飲んだビールだ。
真夏の浜辺で仲間たちとビールを飲むことは、「最高」の一語で表すことができる。
このジョッキは、私が沖縄で学んだことを生かし、「最高」な状況に合う、「最高なジョッキ」にしたかった。
ジョッキの構造は、側面に紙を挟んで焼き、タンブラーのように二重構造を作り出した。これにより保冷性がかなり高くなっている。また、取っ手には本物の珊瑚を使用することで、よりいっそう海に近づく。
ビールを注ぐと、泡が波のように見え、沖縄の海そのものを飲んでいる感覚に浸れる。
最高なジョッキ
白土、サンゴ
H20×W10×D10(㎝)2個
座間味 夏希
藍染めと紅型の組み合わせ
藍染めと紅型の作品を組み合わせることにより新しい表現ができるのではないかと考え、試作を通してより良いデザインを思案し、縦300㎝、横90㎝の生地(タペストリー)を制作しました。
藍染めにはいろいろな表現技法があり、本作品では絞り染めと抜染の技法を用い、それら技法によって白く残された部分に鮮やかな紅型を施しました。藍染めが表す藍色と白色の境目の滲みやグラデーション、くっきりとしたラインなどと紅型を組み合わせ、藍染めと紅型の融合を表現しました。
素材はオーガンジーを使用し、二枚の布の白地模様や藍模様を重ね合わせ一つの模様を表します。またそれらは奥行きを生み出し、藍の色は一層深い色となります。
藍絞り染めと紅型(藍地)
綿オーガンジー、藍染め(絞り染め)、紅型
H300×W90×D50(㎝)
西田 美恵
「たくさん」と「ひとつ」
普段使いの器にあるシンプルで飽きのこない使いやすいデザインと、鑑賞用としての器にある空間を彩るオブジェとしての存在感を兼ね備えた器を作りたいという思いで作品制作を行ってきた。
「たくさん」と「ひとつ」というテーマは毎日目にする木から発想を得た。一つひとつは小さな葉っぱでも、たくさん集まることで大きな幹をも隠し、木として立派な存在感を放つほどになる。その小さな葉っぱを器に見立て、一つひとつはそれほど主張の強いものではない器でも、たくさんあることで一枚の器では表現できない存在感を示すものにしたいと思った。
釉薬を両面に塗ることで、葉っぱの細かい葉脈を釉薬の貫入で表現した。これにより、汚れなどが付きにくく、また洗いやすくなっている。1枚1枚手作業で形作ったため、形や厚み、土の色合いにそれぞれ違いがある。
普段使いの器にある「使う楽しみ」と、鑑賞用としての器にある「見る楽しみ」に、パズルのように「組み立てて飾る楽しみ」の加わった器として見ていただきたい。
「たくさん」と「ひとつ」
陶(1230度酸化焼成)、木
皿 径19、17、15、13、10(cm)
木 径13×高さ100(cm)
屋良 南
紅型〜広げる紅型用途の可能性〜
私にとって紅型の型を彫る作業や、蒸すことによって糊を置いた部分がとれ、くっきりとしたラインや鮮やかな色が生まれるという紅型の表現はとても魅力的である。しかし、元来布を素材として染められてきた紅型は、素材が布であるだけにその用途は限定される。私は紅型作品を制作しても日常で使用する機会がなく、作りっぱなしになることが多かった。自分自身の手によって作り出したものなのになぜか距離を感じてしまうことに、少しの虚しささえ感じていた。
そこで、素材を変えることによって限定をなくすことはできないかと考えた。布と同様幅広く使われている木材に紅型を施すことによって、布には出来ない役割を生み出したい。
今回の制作活動は、自身の中で紅型の存在感を高めるための行為であり、紅型に感じていた「虚しさ」を解消し、紅型と自身との距離感を縮めていくことである。紅型を自分なりの形で受け止め表現することや、それらを自身の生活サイクルの中に取り入れるということを追求してきた。
紅型とは制作行程(型のデザイン、型彫り、糊置き、色差し、蒸し処理、水洗い)全てを総称して紅型であるので、素材は変わってもその技法を用いた。
展示の作品は模様の位置や組み合わせによって違った表情を見せる棚。立体の特徴を考慮した結果、蛇腹構造を取り入れることにした。取り入れた柄は古典柄とオリジナルの組み合わせで、あらゆる場面に蝶を散らした。一見、桜とツタの流れだけだが、組み合わせによっては蝶が現れるようになっている。
棚
ホワイトウッドシリアス染料による型置き糊防染
H39×W85.5×D28(㎝)
與那嶺 和誠
捨てる器 捨てない器
「野外の食事に 焼き物の器が使えたら」
いままで避けられていたこと、そこに好奇心がわいた。
野外食事の際に使用する器は粘土と葉。焼き物の器だからといって硬化した状態で使用するのではなく、可塑性のある粘土に現地で採取・洗った葉を重ねて料理を乗せ、それを器とする。
使用粘土は家庭用オーブンでも焼成可能なオーブン陶土で、防水の役割を果たす釉は専用のもの。
食事は友人らに行なってもらったのだが、食事をする前に実際どのようなものが作れるのか、二種類の見本となる作品を私が制作しそれを数点見てもらった。
粘土に葉脈や持った際にできる指の跡が残るうえ、赤土や砂などを練りこむと色や質感が変化し、なかには焼成後に香るものもある。低火度焼成(180℃)で強度を得られるため、葉や花びらを張り付け焼成しても色や形を残すことができ、また少々強引ではあるが即日で制作から完成までできるため現地にオーブンを持っていき、食事を終えた粘土の器をその場で焼成後、各自持ち帰ってもらった。
焼成後も器として使用できる形にすることと葉脈跡を残すことは必須にしたが、木や石を押し付けたり質感の異なる粘土同士を接着するなど、粘土に表情をつける方法は限りない。
焼成後の器を「意識」して成形したものと、偶然に身を任せて「無意識」で器を仕上げたもの。使い終えた葉は「捨てる器」、粘土は焼成して「捨てない器」となり今後も器として存在し続ける。
捨てる器 捨てない器
オーブン陶土・葉・釉・赤土・黒土・砂
和田 瑞希
愛 着 標 本
失う怖さをここにいると感じさせられる。
新しいものがすぐに手に入る時代だから
小綺麗なものが簡単に手に届く場所にあるから
新しいものこそが一番というモノの見方を植え付けられているから
古いモノに価値を見出せなかった。
しかし、沖縄の商店街で、わたしは見つける。
たくさんの新しい、と思うデザインを。
たくさんの今時だ、と思うアイテムを。
たくさんのお洒落だ、と思う生活を。
これらを目の前で失いたくない。
この美しさを消費社会の中で、消費するのではなく、
あなたからわたしへ、わたしからあなたへ、美しいと想うディテールだけを受け継いでいく。
愛着標本。
愛着ごと、わたしはこのまちを保存します。
愛着標本
愛着標本棚:ガラス、アクリルケース、OHPフィルム
H118×W91×D40(cm)
解剖図 :キャンバス、油彩、鉛筆、針金、OHPフィルム
H73×W60.5(cm)